「断捨離」「ミニマリズム」という言葉がすっかり世の中に定着してきたように感じているのですが、みなさんは自覚的に「ミニマリスト」であろうとする人でしょうか?
そのような人々の間でひとつの砦として最後まで捨てるかどうかを迷う品目のひとつに「卒業証書」があるようです。
ここでは「捨てちゃえばいんじゃないすか」と部外者が気軽に、みなさんの決断の最後の一押しをしてみたいと思います。
実際に卒業証書が必要になることはないですから。
迷うということは、いらないということ
断ち、捨て、離れる、の言葉通りに生活を整理整頓し、快適に暮らそうという断捨離には、その基礎的なところに、「いる/いらない」の区別をつける、区別がつかないものを「保留」として保管、この「保留物」も定期的に見直す、という方法論があるでしょう。
この「保留」の箱の中にずっとずっとあり続ける筒、それが卒業証書であるわけです。
やはり言葉の響き通り、この「保留」が「なに」を保留しているのかといえば、明らかに「捨てることを保留」しているのです。
いずれ捨てねばならないとわかっているもの、しかし最後の判断を下すことになにかためらいがある、いっそのこと誰かが何も考えず「保留」の箱ごとゴミ捨て場にぶちまけてくれたらどんなに楽かと思っている、そういうものばかりがパンドラの箱のように押入れの奥に眠っている、どの家庭でもおそらくそうでしょう。
だからきょうは私が、言ってあげているのです。
「捨てちゃいなよ」と。
卒業証書、捨てて大丈夫!【実用編】
卒業証書はそもそも誰がどうして発行するのかといえば、「学校教育法」という法律の中で「校長は、(中略)卒業証書を授与しなければならない」という規定があるため発行されているというだけのものです。
その発行にあたっては「卒業証書授与台帳」という名簿が各学校でつくられており、この保管年数は、学校によりますが「永年」「長期」といった規定で、実際には100年程度はふつうに保管されるとのことです。
したがって「卒業証書」自体は再発行されることはありませんが、どの学校でも卒業の事実を証明する書類としての「卒業証明書」を有料で発行する仕組みをもっています。
新しい職に就くときや一定の資格を得るときなどには「卒業を証明するもの」の提示を求められる場面がありますが、あなたはそのときあの馬鹿でかい丸まった紙を提示しようと思っているのですか?
それでもいいんでしょうが通常の常識があれば学校に数百円を支払い「卒業証明書」を出してもらいます。世の中の大半はA4のコピー用紙で動いているのです。そんなこともわからない人間にビジネスなんかできるはずがありません。
【思い出編】卒業証書に思い出はありますか?
卒業式で卒業証書をもらうこと自体に思い出がある人はいったいどれだけいるのでしょうか。
卒業式の日の式の前後に思い出があったり、卒業式の中の誰かのスピーチに思い出があったり、卒業までの日々に思い出があったりしても、卒業証書授与自体に思い出がある人ははたしてどれだけいるのでしょうか。
他の思い出を卒業証書に託してしまっている方がいらっしゃるのだとすれば、そこは切り離すべきでしょう。
卒業証書の筒はとにかく邪魔なのです。もう少し短くて太ければパスタの保管箱にでもすればよいのでしょうが、証書を入れるためだけにしか使えないあの筒をまず捨てましょう。
それでですね、数年ぶりに出してみたごわごわの紙がもう飾りたくて飾りたくてしゃーないわーいう方は、どうぞ飾ってください。
100円ショップで額が売っていますので。しかし、「はぁそうですか」と思っただけの方はその時が捨てるチャンスですね。
なぜか捨てられないのなら、その証書をスマホで写真に撮るか、スキャナでスキャンするか、そのようにデジタル化したあとでもう一度考えてみてください。いままで押入れの中でずっと邪魔なだけだったこの紙が、いまやいつでもボタンひとつで見ることができるようになりました。だとすればもう実物はいりませんね。
さあ捨てましょう。
というように私の場合は4年くらい前に、10年以上前にもらった卒業証書をようやく、スキャンにかけたのち処分しました。スキャナを通すと迷いが吹っ切れて紙類がなんでも捨てられるようになるのはとても不思議ですね。
しかしその後、スキャンした各種データを収納しているweb上のクラウドに余裕が少なくなってきて、なにかを追加するたびに「これは使用していないようだから処分したらどうか」というリストが表示されるようになり、そのトップに毎回「卒業証書」が表示されるのがウザくて、ある日データ削除のボタンをクリックしてやりました。
そのように私はデータ的にも卒業証書を捨てて2年くらいになりますが、困ることはなにひとつありません。あなたもいますぐに、卒業証書を捨てたらよいでしょう。
私が保証します。大丈夫です。
まとめ
断捨離やミニマリズムの基本は、ただものを捨てることにはなく、自分で持っている必要がないものは持たない=誰かの持ち物を利用することができるならばそのほうが得だ、という考えにあるだろうと、私は個人的にはそう理解しています。
ミニマリズムを追求する人には、洗濯機を持たずコインランドリーに通い、風呂なしの住居で銭湯に通い、机を置きたくないので机を使いたい時にはカフェに行く、といった人がいるようです。
それは、私の生活からしてみればそれは少しやりすぎなのではと思わなくはないのですが、卒業証書についてはこの考え方で私は賛成です。
つまり、私があの邪魔な筒を保管していなくとも、各学校が「卒業証書授与台帳」を100年くらい保管してくれているのだから、私が心配しなくても大丈夫、っと。
(おわり)
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